・WE!には初登場です。これまでのバンドの経緯を教えてください。
「2009年に前身となるバンドを弟であるSHUJIと同級生と札幌市内で結成しました。19歳の時です。でもその前にELIZA(イライザ)のメンバーの方のプロデュースで僕は18歳の時にソロデビューもしてるんですね、札幌のインディーズとして。
そのバンドで大手の会社に呼ばれて上京するんですけど、自分がやりたい方向性と事務所から求められる方向性が上手く合致しなかったりで、なかなか前に進んでいかなかったんです。そんな時にあの東日本大震災が起きてしまうんです。そこでそれをきっかけに2011年にGYZEと改名して再結成に至ったんです」
・3.11の東日本大震災がきっかけっていうのは?
「東京にいたので被害はそこそこでしたけど明らかに街の雰囲気が異常だったんです。そしてテレビで被災地の映像が目に飛び込んで来て、、、。“こうして命を落とす方がこんなにもいる。片や僕は不満を抱えていて鬱屈だらけで、でも生きている。生まれ変わろう。失敗してもいいから自分たちの主導で思ったことだけを信じて前に進むべきじゃないか”って強く思えたんです」
・意志を強く持ってやって行くべき、と思えたんですね。
「そうです。そこで事務所を辞めて改名しました。このGYZEという名前は父親が札幌でやっている美容室の名前なんですけど、“この名前を世界中に轟かせてやるぜ!”って決意したんですね(笑)。でも、そういう志は高く持てたけどバックアップが何もなくなっちゃったわけですよ(笑)。でも今もそうですけど僕はけっこう意地っ張りなので、その何もないところからもがきつつも結構頑張りましたね」
・東京でバンドで活動していて、メタル系のライブに対バン相手として呼んだり呼ばれたりといったそういう人的交流はどうだったんですか?
「道民気質というのか、なかなかそういう交流の輪の中には入って行くのが苦手な方だったかも(笑)。ライブハウスの方々に可愛がっていただいたりとか面倒見てもらったりとかもしたんですけど、始めはなかなか無かったですね。GLAYさんとかもそうだったらしいんですけど、先輩バンドにベッタリくっつくとかもなかったですね。でも曲作りと練習だけはしっかりやっていて、それは『ホンモノのメタルバンドになりたい!』というのがあったからで。当時僕らが憧れていたバンドがイタリアにいたんですよ。そのバンドDISARMONIA MUNDIの人がレーベルのオーナーもしていて、そこから出るCDがすごくカッコよかったんですよ。そこに自分から売り込んだんです。きっと世界中から売り込みがあるはずのレーベルなのに、ちゃんと聴いてくれてそして連絡をくれて。結局そこからアルバムを出すことになるんです」
注:そのレーベルとはイタリアの名門メタルレーベル『CORONER RECORDS』。GYZEは2013年そこからいきなりアルバム『FASCINATING VIOLENCE』で世界デビューを果たす。Amazonのハードロック・ヘビィメタルカテゴリーでランキング1位、『BURRN!』誌の輸入版チャートでも1位を獲得し、逆輸入というかたちで日本のシーンをざわつかせた。
遅れること1年、2014年には日本ではビクター、他韓国と台湾のレーベルとも契約しアジア全域でもデビューを飾る。
・じゃあレコーディングはイタリアで?
「その辺はデータのやりとりで。Ettore Rigottiというエンジニアの創る音が当時僕は大好きで、彼が手掛けてくれることになったのでそれもとても嬉しかった。実はGYZEは日本で音源制作したことがないんですよ。2作目もイタリアで、昨年リリースした3作目の『Northen Hell Song』はフィンランドだったので」
・GYZEを語るに欠かせないのは「世界の」という枕詞が付くこと。
「やっぱり音楽な訳だし国境を越えられると信じてました。GYZEのサウンドは西洋発祥のロック・メタルをベースとしつつ日本ぽさを散りばめてるスタイルなので、特に日本に固執しないでおこうと思ってるんです。
僕が付き合いのあるバンドはドイツとフィンランドに多いんですけど、どちらも国が彼らの音楽活動をフォローしているんですよ。文化であり産業であり外貨を稼ぐものであり、国を挙げてバックアップの体制を持っているんですね。政府のホームページにメタルバンドのスケジュールが載っているくらいで(笑)。スウェーデンでは、子供が楽器を始める時にはその楽器が無償で提供されるとか聞きますし、すごく羨ましい環境だと思います。
海外でのライブが多いのは、マイケル・シェンカーやSonata Arcticaといったアーティストをブッキングしているエージェントと契約しているからというのもありますね」
注:GYZEのこれまでの主な海外/国内での公演
2015年
・Dragon Forceとの台湾公演
・Children of Bottomとの中国ツアー
・LOUDPARK(さいたまスーパーアリーナ)出演
・ドイツでのフェスAstan Asia Days出演
2016年
・ドイツでの巨大メタルフェスSUMMER BREEZEに日本人として初の参加
・スロバキアのフェスMORE THAN FESTに日本人として初の参加
2017年
・フィンランドのバンド『BATTLE BEAST』と共にEU & UK 36ヶ所ツアー
・LOUD OUT FEST(東京)出演
・3度目のワンマンツアー
・ちなみに近々の先月2月のスケジュールはどんなでした?
「1日からの、世界最大のメタルクルーズ『70000TONS OF METAL』に出演してきました。フロリダ発の4泊5日のカリブ海クルージングで、豪華客船の中で行われるフェスです。7万トンというタイトルですが実際には15万トンのもっと大きな船で60バンドが出演しました。寄港地だったタークス&カイコス諸島のビーチはこの世のものとは思えない綺麗さだったなぁ。そこから8日に北海道に戻ってきて10日に札幌雪まつりに出ました。この気温差(笑)。17日には仙台でライブがありました。来月3日は名古屋でライブですね。その間も次のアルバムの為の制作をやっていました」
・これまでの公演で、これは面白かった、これは刺激的だったとか、記憶に強く残っているのは?
「すべてのライブでお客さんに感動を与えたいのでどれも100%の力でやっていますけど、、、、刺激的という面では『70000TONS OF METAL』は楽しかったです。毎日がディズニーランドにいるようでした。お客さんも演奏者もみんなリラックスして満足度の高い内容も素晴らしいものでしたね。そして衝撃というかとても嬉しかったのは2015年に出た中国の深圳でのMIDI MUSIC FESTIVALでした。同じステージの僕らの次がChildren of Bottomで、かつて彼らのコンサートを見に行っていたくらいの好きなバンドだったし、何より超満員の観衆の前でいいパフォーマンスができて盛り上げられた。それは鳥肌モノでした。ドイツのSUMMER BREEZEも印象に残っていますね。僕らの出番の時は正直お客さんはあんまりいなかったんですよ。メインアクトが終わった深夜0時からのステージだったし。でも2曲目くらいからどんどん人が集まってきて、なだれ込んで来たって感じで、最終的には満員になってモッシュピットが起こるくらいに盛り上がってくれて。持ち時間の中にひとつのドラマがあったようで僕らも興奮しました。あとはやはりLOUD PARK。10周年の年でしたし伝説になるようなステージをする!と意気込んでいました。あの日の出来事はきっとこれからも忘れないと思います。」
・つまり、知名度としては低いから最初はお客が少なかったけど、野外なら音が風に乗って拡散していって、それを耳にした人が集まって来るというのは、言い方は悪いけど、音でオーディエンスを納得させてねじ伏せたってことだもんね。
「そう、BECKってマンガじゃないけど、そんなマンガみたいな光景だったな。その中には憧れていたバンドのメンバーもソデ戻って来ていて「お前らよかったぜ。今度一緒にツアー回ろう」って言ってくれたりして。「お前らこのまま残れ。そして一緒にヨーロッパ回ろう」と誘ってくれたりして。帰りの飛行機も取っていたからそれはさすがに無理だったけど、そう誘ってもらっただけでも幸せなことでしたね。ロマンチックでドラマチックなことでした」
・ところでさっき4枚目のアルバムの制作って言っていましたが。
「今年中に出せればいいかなぁと思って日々作っていますね。すでにかなりの曲数があるので詰めてく作業ですね。
前作のジャケットは鳥居と雪の厳しさを表現しました。
日本人であること、北海道民であることを最近はより強く意識し出しているんですよね。曲のタイトルにはアイヌ語を使ったりアイヌ民族の方々と縁が深い地名も使っているし。それはなぜかと言うと俺たちは北海道で生まれたから。その雰囲気を含めて世界の人たちにも聴いてもらいたいから。
グローバルであると言うことはベリー・ローカルでなければならないと思ってます。
当然日本のリスナーにも北海道のリスナーにももっと届けたいですよね。
僕は今評価されることだけがすべてだとは思ってなくて。GYZEの音楽が【消化物】になるのではなく、【北海道、日本、そしてこの世に200年後も300年後も残る音楽】を創りたいと思っていて。200年後千歳空港に降り立ったら僕の曲がオルゴールで流れている、そんな風になったらイイと思いませんか?」
・そしてGYZEの企画ライブ『Live Blizzard Vol.3』も近づいてきました。
「そうですね。まず北海道は島が別ですし本州のようなペースでバンドが来られないのでバンド、そしてお客さんにとってのキッカケになればいいです。今回は名古屋からUNVEIL RAVEというエクストリーム・バンドを招いています。
まだまだこの企画の先にある真意とかも話したいのですけどそれはこれから展開してゆく活動を通して改めて伝えたいです」
インタビュー・文 大槻正志(ペニーレーン24)