WESSRUN! RUN! RUN! スペシャルインタビューthe pillows

RUN! RUN! RUN! スペシャルインタビュー

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the pillows

来年2019年に結成30周年を迎えるthe pillows。つまり今は30周年イヤーに突入したということだ。20周年以降5年ごとのアニバーサリーイヤーでは、その時のthe pillowsを象徴する特別なタイトルが付けられる。20周年では”LATEBLOOMER SERIES”と、25周年では”NEVER ENDING STORY“と、そして今回は“Thank you, my highlight”と。

その第一弾として9/19にリリースされたのが22枚目となるアルバム『REBROADCAST』だ。

聴いてみてもらえば分かることだが、なんとも瑞々しい勢いのあるアルバムだ。“我こそはこのアルバムの主役なり!”と高らかに宣言するような曲が多数散りばめられているからかもしれない。

 こうしてインタビューに、ライブ時にと、年に何度か顔を合わせるさわおさんの顔色が明るい。なんだか機嫌が良いみたい(笑)。それはきっと多分、行く先々で「いいアルバムですね〜!」と言われ、褒め続けられたからだろうか?

そんな話題から山中さわおに話を聞く。the pillowsというグループ名になった経緯(実はいまさら聞けなかった)や、山中さわおの深い覚悟や、これまではなかなか語られなかったことにも快活に話してくれたので、ぜひ最後までお読みいただけることを願っています。

the pillows

INTERVIEW

「そうですね。特に昔からthe pillowsを聴いてくれてたラジオ局の方やお付き合いのあるライターさんたちからそう言われますね。リード曲にできそうな曲がたくさんあるんですよ」

 

・ところで、インタビューの最初から別な話になっちゃいますが、先日7日の(インタビューは9/25に行われました)まさに午前3時に北海道では大きな地震があったんですが、それはどうやって知ったんですか?

「その時も当然起きていました。ちょうど携帯を触っていて、そしたらニュースで流れたんですね。えええーーっ!?ってなって、慌ててまずは実家に電話したんです。そしたら繋がらなくて余計に不安になったんですよ。そしたら兄貴からメールが入って「無事だから、心配するな」って。実家は海に近いところにあるので津波が心配でしたけど、大丈夫でした。その後いとこや同級生たちともメールで連絡が取れて、被害は停電とか、マンションの停電による断水とかみたいでしたね。でも驚いたのは、北海道の人って意外とランタンを持ってるんですか?“ランタンあるから明るいし、冷凍庫のもの溶けちゃうからパーティみたいにして食べてるよ〜”って、みんな意外と明るくて元気なんですよ。地震に慣れている土地でもないのに、それが驚きでしたね」

 

・多分友達にもよるんでしょうけど、RSRが20年続いているわけで、音楽好き、フェス好きはみなさんアウトドア用品を持っているんじゃないですかね?僕もtwitterを見てましたが、エゾロッカーたちは外にテント張ったりボンベ式のガスでジンギスカンやったりと、皆すごくタフでしたもん(笑)。

「あぁ、なるほどね〜。それともう一つスゴイぞ!北海道と思ったのは、信号も消えているのに、追突事故とかがすごく少なかったらしい。それって交差点ではちゃんと車同士が譲りあったということですよね?それを聞いて北海道はいいなぁ〜って思いましたね。夜が明けたら、こっちはテレビが停電で映らないじゃないですか。でも東京のテレビではいろんな映像が流れていましたから、東京の人の方が情報を知っていて北海道の人に教える、みたいなこともありましたよ」

 

・多分必ず聞かれていると思うんですけど、このアルバムタイトルREBROADCASTってREが付いているんですけど、これはどんなニュアンスで?

「REBROADCASTって再放送という意味で、、、」

 

・ええ、でも再放送というからにはまず先に放送があっての再放送なわけで、、、。

「ああ、そうですね。若い頃よりも今の方が過去をいっぱい所有しているので、振り返る作業というか、あぁ懐かしいなと思うことが増えたんですね。別に一大決心というわけではなくて、軽快で楽しいロックンロールに合わせてもう一度楽しみたいナ、楽しませてくれないかナ、みたいな気持ちで、再放送をも一回楽しみたい、という感じなんです。」

 

・カムバック青春、ということではなくて。

「いや、それも少しあるかな。仲間と酒飲んでて、「そういえばあの時さ〜」、「あぁ、あった、あった!」みたいなライトなノリで懐かしむ、みたいな(笑)。そんな感じで1曲目ができて、気に入って再放送というタイトルをテーマとして。僕らアルバムの1曲目は必ずそのツアーの1曲目にしているんで、登場からみんなで盛り上がるロックンロールもいいな!と思ったんです。周年でもあるし開き直って確信犯的に、過去の曲のワードをちりばめたり、イントロダクションやコードをも一回なぞったりとか、『遊べるな!』と気づいて、そこからこうしよう、ああしようと楽しく曲作りが出来たんです。でも僕の中で重要なのは、シメの『Before going to bed』という曲だけはドキュメンタリーで、少年時代の僕と、上京してまだ何もうまくできていない僕と、そして今現在の自分、その気持ち。これまで関わってくれた愛情ある人たちへの感謝の気持ちを、そして、ドキュメンタリーなんで、『人生には再放送はないんだ。人生は一度きりなんだ』ということを最後の最後に伝える、という流れがすごく気に入っていますね」

 

・7曲目の『Bye Bye, Me』では♪Rebroadcasting と歌われています。

「これは最後の最後に書いた曲ですね。その前に書いたのが『Before going to bed』で。もちろんもっとたくさんの曲を書くんですけど、曲順として当てはめていった時、『Bye Bye, Me』はこのアルバムの名脇役で、だから♪Rebroadcasting と歌ってみたらしっくりと収まったんです。

僕の中には“出番待ち”の曲がたくさんあるので、例えば『Binary Star』や『Starry fandango』は前作の時にすでに録ってはあって、でも歌詞が書けなかったから少し寝かせようと思って。頑張って無理して歌詞を書いたりはしないので、、、(笑)。でもここで出番がやってきましたね」

 

 

・歌詞が乗らないと倉庫行き、は分かるんですが、歌詞も書けているけど倉庫行き、ってこともあるんですか?

「あります、あります。今回、映画の主題歌として使っていただく6曲目の『眩しい闇のメロディー』はまさにそれでした。これは10年前には弾き語りでできていて、タイトルはなかったけど歌詞は全部書けていた曲でした。僕はロックバラード的な曲はアルバムには1曲だけしか要らない、ツアーのことを考えても2曲は要らないと思っているんです。僕の心の中のオーディションというのがあって、そこに落ち続け(笑)その後すっかり忘れていた曲だったんです。そこに今回映画の主題歌のお話をいただいて、ストーリーを読んでいたら「あれっ?これにぴったりの曲があったな」と思い出して、その古いデータを引っ張り出してきて監督さんとプロデューサーさんに聴いてもらったら、これで行きたいと言われ、改めてバンドで合わせました。真鍋くんとシンイチロウくんはこの曲を聴くのは初めてで、だから二人にとっては新曲なんですけど(笑)、それでセッションして完成させました。タイトルは、『純平、考え直せ』という映画で、歌舞伎町で生きている若者というストーリーに寄せて『眩しい闇のメロディー』と付けました」

 

・僕はこの作家である奥田英朗さんが好きなんで、この小説は出てすぐに読んでいますが、怖いくらいぴったりなんですよね〜。

「へえ〜(笑)、出番待ちさせておいて良かった。ほんと運命的にドンピシャだったんです。歌詞も「悲しい僕の歌を」を「悲しい僕の傷を」と、ワンワード変えただけでしたから。端から見たらボツ曲と思われるかもしれないけど、それはボツ曲ではなくて、、、。僕は人生をかけて作った曲は全部発表したいと考えているんで、まだまだこれだけの出番待ち曲があるぞ、というのは安心感でもあり、でも曲が書けなくなるという経験はまだしたことがないので、曲はどんどん貯まっているという状態ですね」

 

・これまで、短いお休みはあったけども30年間走り続けてきて、このストックの多さがミュージシャン人生を長く生きてこれた秘訣、ですか?

「そうですね!だって燃料がないと車は前に進めないわけですから。そして、単に曲のストックの多さだけでなく、今現在も曲を作っていられるってことでしょうね。曲を作れるからメンバーとスタジオに入ってレコーディングができる、そしてツアーにも出られる、そのサイクルの礎ですから。僕にまだソレがあるから真鍋もシンイチロウも安心してるんじゃないですか(笑)?」

 

・歌詞が書けない時があるとおっしゃいましたが、曲が書けなくて煮詰まる、ってこともあるんですか?

「いや、それはないですね。そういう時は書かないので。ノっていない時は書かないので。煮詰まるというのは例えば締め切りがあってそれに間に合っていないからやばい、やばいとなるわけで、僕はそれはないです。曲を書く気分になったらダダダダダッて曲ができるので、結果足りなくなったことがないです」

 

・曲作りにノリ始めるキッカケってなんですか?他のアーティストの曲ですか?

「あ、ソレあります!それが一番大きいです。圧倒的に素晴らしいライブを観ると早くウチに帰って曲作りたい!って思うし。だから逆に人にそれを言われると嬉しいんですよね。この前、7月にロスでやったライブにTAKUROくんが遊びに来てくれたんですよ。すごく興奮して“早く日本に帰ってバンドをやりたい!”って言ってくれたんですよ。それは最高の褒め言葉でしたね」

 

・では歌詞を書くのがノル時ってどうなんですか?

「あーーー。そうですね、、、。歌詞のスイッチはよく分かっていないです、自分で」

 

・映画を見た後、とか?

「いや、それはないですね。夜、お酒飲んで、歌詞を書こうと思うじゃないですか。頭に入っている曲が鳴り始めますよね。言葉をはめてみようとします。で、、、、。10分15分でダメだったら止めちゃいます。上手くいく時は、つじつまが合わなくても言葉を入れ込んでみて、そしたら、こことここを繋げてみたらなんか世界観が見えてきたぞ、ってなりますね。そこにはまる違う言葉を探してきて、そしたら最後まで書けちゃいますね。

僕はお酒を飲んでいる方が没頭し易いですね。その方が脳内の妄想ストーリーが発動して(笑)登場人物が動いてくれるんですね。

 

・話が変わりますが、『Rebroadcast』と『Bye Bye, Me』に歌詞の連動性という話がありましたが、もう一つ『Rebroadcast』と『ニンゲンドモ』の両方に【午前3時】というワードが出てきて、それも、、、。

「それインタビューで指摘されるまで自分で気づいていなかったんですよ。でもそれは僕の通常の活動時間であるということと(笑)、僕は洋楽で育ったんで、英語の音節で考えるんですけど、ゴゼンサンジというのが一番キマルんですよ。午前1時じゃダメなんです(笑)。「午前3時に何があったんですか?」って聞かれて初めて気づいた、というね(笑)」

 

・北海道の地震も午前3時だったから、リンクするかな?と思って冒頭の話になったのでした(笑)。その『ニンゲンドモ』ですが、大久保通りから始まって新宿のコンビニエンスストアが出てくるわけですが、雑多に広い東京の中でどうしてこの曲は舞台が新宿になったのですか?

「あの、、、普通に僕の活動する場所です(笑)。渋谷とかは全然わからないんで、リアリティがあるのが新宿なんです」

 

*『ニンゲンドモ』 PV(short ver.)

・ところで、今更伺うのもアレですが、周年カウントの基盤となる9月16日っていうのは結成の日なんですか?周年って、結成から数える場合と、アルバムデビューから数える場合と、メジャーデビューから数える場合と、だいたいこの3種類だと思うんですが、結成日がここまではっきりしているのってとても珍しいと思うんですが。

「これは結成した日です。この日に真鍋の当時の札幌の部屋にみんなで集まってバンド名を決めたんです。それでこの日を結成日とするって決めたんです。というのは、当時のリーダーだった上田さんもシンイチロウもすでにメジャーデビューを経験してたいので、インタビューで何を聞かれるか?って知っていたからハッキリ決めておこう、って(笑)」

 

・ははは(笑)。じゃあこの際聞いておきたいんですが、the pillowsというのは誰から出てきたんですか?

「うーん、、、誰だったのかなぁ?僕じゃないです。でも、真鍋んチにあったレコードから採ったんじゃなかったかなぁ?60年代のバンドみたいにtheナントカズ、にしたかったんですよ。でもすでにたくさん出てしまっているじゃないですか。動物系の名前はほぼ出尽くしていたし。それで誰かがピロウズってどうだ?って言ったんですよね。「なんか新しいよね、聞いたこともないよね」って。で、僕が「ピロウズってどういう意味?」って聞いたんですよ。そしたら「枕だ」って。まくらぁ(笑)?!ロックバンドが枕でいいのかぁ?、ロックンロール的に大丈夫なのか?とは思ったんですよね(笑)。でも僕以外の3人はそれにノって。だけどこれから「こんばんは、ピロウズです」って言うのは僕だよなぁ、イヤだなぁ、って。3年くらいイヤでしたよ、ピロウズって言うの」

 

・ははは(笑)。だから今回感謝の言葉を言った曲が『Before going to bed』なの?枕に掛けてるの?

「いや、違います、違います!掛けてないです(笑)。今言われるまで考えてもいなかったです」

 

・30周年イヤーの特別タイトルが『Thank you, my highlight』となっていますが、このハイライトに込めた意味は何なんですか?

「もともと『Thank you, my twilight』って曲があって、2002年かな、ずいぶん古い曲なんですけど、ロックバンドが現役感を持って大きな花火を打ち上げれるのは、僕が30周年が最後だなと思っていて。5刻みはあんまり盛り上がらないって経験上知ってるんで、そうすると次は40周年なんですね。でもその時、僕は60で真鍋は66、シンイチロウは64になっているんですね。今でもドラムはギリギリなのにさ(笑)、その歳になってさ、いやアニバーサリーとして叩けるとは思うんですよ、でも現役感を持って胸を張ってプレイできるのは、周年としては30周年が最後だろうなぁと思っていて。ハイライトはここだ!と思っていて。

その後は個人的には同窓会のような感じで、僕らの曲を歌うのは僕らしかいないわけで、でもそれを聴きたいと思ってくれている人がありがたいことに結構たくさんいるので、ゆるく、ダラダラと、仲良くやっていければイイな、と思っています。この30周年は僕は緊張感を持っていて、ホントに自分の音楽人生に納得のいくライブをしたいんですね。そこに強い思いはあります」

 

・来年の 9/16に向けてこの一年はいろいろ仕掛けていくんですよね?

「えーっと、まだ発表できることがないんですけど、今回はあんまりいろいろはやらないです。このツアーが終わったら、【デッカイ遊び】を一つドーンとやってその後はアニバーサリーライブをやるくらいです。

でも、実は来年DELICIOUS LABELも20周年だってことに気付いて、そっちでも何かちょこちょこっと、大きなものはできないですけど、noodlesやシュリスペイロフやTHE BOHEMIANSら所属アーティストたちと、小さくツアーとか制作物を作れたらいいな、とは思っています。

大槻さんだから言いますけど、デッカイ遊びって「ゴニョゴニョゴニョ」なんです。

(注:書けなくて申し訳ありませんが、スゴイです!過去、日本のロック史にはなかった、考えた人はいたかもしれないけれど実現はしなかった、夢のある超絶に楽しそうなことが現在動き出しているそうです。来年が本当に楽しみです!)

 

・最後に、ここまでコンスタントに【刺さる楽曲】をたくさん生み出し続けられた理由みたいなことを伺いたいんですが。

「はっきり言えることは、僕は音楽を最優先として生きていく、と20代の頃に決めたんですね。なので、、、いろんな考えはあると思うんですけど、、、結婚して子供を作って家庭を手に入れる、これって幸せを二つ手に入れようとしているわけじゃないですか。僕はそっちの幸せは諦めて、諦めたというか絶対にそっちにはいかないと決めて、最優先で音楽で生きていくと決めたんですね。例えば10年とか15年前、泊まるホテルのWi-Fi環境がどうだ、パソコン環境がどうだ、とかみんなが気にしていたことがあったんですね。いや、そんなことで暇つぶしをしなくていいじゃないか、ギター弾いて曲を作っていればいいじゃないか、僕はthe pillowsなんだから、って思っていたんですね。でも、世の中には突き抜けた天才っているんですよ。そういう人はアーティスティックな成功と家庭的な人としての幸福と両方手に入れているんですね。でもそういう突き抜けた天才じゃない人は30年40年はなかなか戦い続けては来れないんですよ。僕は音楽に集中しやすい環境を自ら整えているので、他の人よりもそこに長けているのは当たり前だな、と。覚悟が違うと思っています」

 

・潔い話ですね。さて、このアルバムを持って11月から長いツアーが始まります。ラストの東名阪の直前に道内2カ所のライブがあります。

「みんなに感謝をしつつお互いの30年を祝う楽しいライブになるに決まっているんですよね。シンイチロウが酒に飲まれないでちゃんとドラムが叩けるかに成功がかかっていますけど(笑)」 

 

インタビュー・文 大槻正志(ペニーレーン24)

 

 

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