・いつ頃から「RSRに出たい!」という野望を抱き始めたんですか?
「まだキッズの頃、SUN STAGEとEARTH TENTの二つしかステージがない時から見に行っていたんですよ(注:2001年か?)。そして20代前半の頃はボランティアでゴミの分別も二日間やりまして、だから常に、札幌のロック=RSRという図式は頭にあったんです。
凄く印象的な出来事としては、客として行った時、DJブースがあるステージでアーティストの方々がジャムセッションを始めたんですよ。THE MICHELLE GUN ELEPHANTのキューちゃんさん(クハラカズユキ)がドラム、UAさんがボーカル、そして浅井健一さんがベースを弾いて、というセッションで、そしたら急に人がテントに押し寄せてきて、僕は押しつぶされて気を失いそうになったんですよ(笑)。そしたらUAさんが「その子を助け出してあげて!」と言ってくれ、セキュリティの人に人の塊からスポッと抜き出してもらって寝かされていた、っていうのを覚えていますね。お亡くなりになったアベフトシさんがビールを飲みながらステージを見てて「大丈夫?」って声を掛けてくれて」
・青木さんにとってのRSRのイメージは?
「(即答で)目標ですよね。絶対に出てやる!というのがバンドを続けてこられたモチベーションです。『夢』ですよね」
・ねぇ、別に来年に拘らなくたって再来年だってRSRはあるよ。
「(また即答で)いやいや、来年です(笑)!」
・夢は叶わない方が夢として保ち続けられるよ(笑)。
「いやいや、来年です(笑)!」
・他には、テストバンドといって、前日の木曜日にサウンドチェックを兼ねて演奏してもらう出演方法もあるんだけど、それは? 誰もいない広大な場所で音を出す気持ち良さがあるし、『来年こそはライジングに、まずはテストバンドとして出てやる宣言』だとハードルも下がるよ。
「へえ〜。そのスケール感を一度身体の中に入れてみてかぁ・・・。いやいや、ダメですって!打首のみんなもお客さんもせっかく今こうやって後押しをしてくれているんですから、テストバンドじゃなくやっぱり出演者としてのRSRでしょうが(笑)!
それに、そもそもの野望としては今年出たかったんです。去年のRSRのEARTH TENTでの『打首獄門同好会』のステージに飛び入りで出させていただいた時に、大澤会長(Vo.+G.の大澤敦史のこと)の肝いりで、すでに5000人のお客さんの前で「来年は俺たちもRSRに出るぞー!」って宣言していますから。2年越しの夢なんですから!だから今年出られないと決まった時は「オレは一体どのツラ下げて札幌に帰ればいいんだ、、、」って思いましたもん(泣)」
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RSR’17 打首獄門同好会のステージでの青木さん |
・(笑)。ちなみに、今年の8/10,11はどこで何をやっていたんですか?
その日は池袋にある、『バックドロップシンデレラ』のギターの豊島“ペリー来航”渉さんが店長をやっている、Admというライブハウスでの毎年恒例のブクロックフェスティバルというのに出ていました。前から出演オファーはもらっていたんですが「いやいやちょっと待ってくれ。RSRから返事をもらってないから、もうちょっと待ってくれ」と言っていたんですが(笑)、結局涙を飲みながら「出ます。出させてください、、、」って頼みました。そして今日に至る、って感じですね」
・RSR’18の一週間後(インタビューは8/19、ZEPP札幌でのライブ当日。サプライズ演出のリハーサルのため、関係者総出で邪魔な青木さんを会場から閉め出し、まあまあ移動時間のかかる琴似の本社ビルで行われました!という裏話です 笑)の今日、改めて宣言するんですもんね。ちなみに他の部屋が空いていなかったせいもありお通ししたこの部屋は社長室で、ここでインタビューするのは井上陽水さん以来です、僕。
「えっ!?いや確かに椅子もソファも全部皮製品だし、僕がここにいていいんですか?・・・僕なんかがスイマセン、、、。急に緊張してきました。しかしビートルズグッズばっかりの部屋なんですね」
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社長室にて。顔がこわばる青木さん |
・あるいはですが、先にフジロックやサマソニに出て実績を作り、それを以て三顧の礼でRSRに迎えられる、っていうのはどうですか?
「・・・(沈黙)。難しい質問だなぁ、、、。でもやっぱりちょっと待ってください、って言うんだろうなぁ。相当いろんな方に相談しますよね。僕の一存だけでは決められないですね、、、。そんな引く手数多になったら、、、うーん。
でも僕はRSRへの憧れだけはすごく強いんですよ。というのも、出身地が札幌であるにもかかわらず、アシュラシンドロームでの札幌での実績はまるで無いんですよ。IMPACTやNoMapsには出させていただいているんですけど、まだワンマンライブもやれていないですし、何も結果を残せていないんです。だから来年3月の初ワンマンには気合いが入っていますね!」
・実の父親であり作詞家でもある(笑)『JP青木』さんのことを教えてください
「実の父親が歌詞を書くという、前代未聞のことをやっておりまして(笑)。きっかけは父が「お前らのやっている音楽は嫌いじゃないんだけど、俺らの世代にはグッと来ないんだよな」とか言い出しまして(笑)。そうしたらある日家のポストに一通の封書が入っていまして、親父からで。今までそんなことが無かったので驚きながらも開けてみたら、『Blizzard(吹雪)』とタイトルの付いた歌詞が入っていまして、それはまぁ無惨な歌詞だったんですよ。それで電話してみましたら「歌詞は俺が書いてやるからお前はソレに曲をつけろ」と言いやがりましてね、びっくりですよね(笑)。最初はもちろん、ふざけんなー!って思いまして、ネタとしてtwitterにその歌詞の写真を載せてみたところ、いいね!やリツイートが普段の僕らの比じゃないくらいありまして、それで曲を付けることをやらざるを得なくなってしまいまして。それが5年前のことですね」
・お父様としては、これで息子を笑わせてやろう、笑って元気になればイいな、という感じだったのですかね?
「いえ、マジです!」
・(笑)。でもその歌詞の中にちょっとは気に入った部分もあったのでしょ?
「ありません。ゼロです。その頃は僕はもっと尖ってて、自分の歌で自分の歌詞で曲で世間をアッと言わせたい!というのをすごく持っていて。ましてや自分の親父のダサイ歌詞になんで俺が!?って思っていました。しかし反響の多さにやらざるを得なくなって、やってみたら、俺たちには思いも付かないメロディが出て来たり、「確かに分かりやすいかなぁ」みたいな意見も出てきたりして、周囲の反応はとても良かったんです。「おもしれー!」と(笑)。当時はまだライブ会場でCDを手売りしている状況だったんですけど、これが予想外に売れちゃいましてね、、、。
その話を親父にしたら「そうだろう」と。上から目線なんですよね(笑)。「実は俺にはこの人生40年、書き貯めていた歌詞がまだまだあるんだ」と、バサーッと送ってきましてですね。それで『Big thunder(雷)』とか『God of Fire(炎)』とか、我々の概念では思いもつかない曲が出来てしまう訳です」
・新たに歌詞を送りつけて来る中で歌詞の精度は?
「これが、、、上がってきてるんですよ、、、(笑)。最近では「ここでドラム」とか曲作りにも口を出すようになってきて、、、。歌詞に歌い易さが出て来てるんですよね。そんな気遣いが現れてきました(笑)」
*『山の男は夢を見た』のPV
・JP青木さんが作詞した人気曲『山の男は夢を見た』が、柏レイソルの応援歌にもなっているんですってね。
「そうなんです。そういう応援歌をチャントというらしく、サッカー日本代表の有名なチャントとしては『バモス ニッポン』とか『アイーダ』とかあるんですけど、俺らがノータッチなところで『山の男は夢を見た』が採用されたらしく使われているんですよね〜。有り難いことです」
・もう一つのヒット商品、『青ばん』について教えてください。
「ある時、歌詞ではなくて「次はコレだ!」と、得体の知れない茶色い瓶詰めが送られてきたんですよ。ラベルまできちんと貼られてあって、正体は青ナンバンの醤油漬けであると。ちょっと待てよ、食品会社で働いている訳でもない素人親父の作ったものを誰が好き好んで食べるか!?と。
でもですね、食べてみたらコレが旨いんですよぉ。
で、試しに売ってみたらこれまたtwitter上で評判になり、ライブの感想や曲の感想を書いて欲しいのに、この『青ばん』のことだらけになり、いつも飛ぶように売れまして、イベントでは「対バン殺し」とまで言われるようになりまして(笑)、TOSHI-LOWさん(BRAHMAN)、kenkenさん(RIZE)、善しさん(COWCOW)などの手にも渡りお褒めいただき、『岩下の新生姜ミュージアム』という栃木県栃木市の商業施設でも販売されることになりまして、、、。バンドよりも先に独り立ちしてしまいまして。『青ばんファーム』という畑まで出来ましてね、青南蛮を育てております。場所は、、、札幌から車で30分圏内、ということで(笑)。綿密な生産計画を立ててちゃんとやってるみたいですね(笑)」
・お父さんはライブには?
「来ます。僕よりもよっぽどスターですよ(笑)。僕らこっちではイベントでmoleさんに出ることが多いんですけど、誰の許可も得ずに2Fの関係者席に座り、帽子をかぶり、普段は絶対にしないメガネをかけ、でも俺と一緒で背が高いんですよ、だからけっこうバレてて。でもライブが終わるとサーッと帰って行くんですね。だから一度「お客さんの中には親父のファンもいるんだから少しはサービスしてやってくれよ」って言ったことがあるんですけど、生意気に「イヤ、俺は裏方だから」って言うんですよ」
・(爆笑)。かっこいい〜!美意識があるんですねぇ。いや、かっこいい。
「・・・美意識、なんですかねぇ(笑)」
・今回もRSRへの熱い想いのライブが行われるわけですが、更に楔を打ち込むべく、3月30日にベッシーホールで『ライジングストローム〜北の勇者になる夢を見た』が行われるんですね。ベッシーホールでの思い出は?
「このバンドになる前、まだガチャガチャと仲間内で音を出して遊んでいた時に、友達の企画ライブみたいなのに何回か出させてもらったことがあります。10代後半の頃にパンクロックのバンドのツアーへお客として見に行ったことの方が多いですね」
・同級生とか、同じく30代半ばの年代の人って、もし会社員だったら主任とか係長とか課長とかになっていてもおかしくない年代だと思うんですが、そういう方達って、この日あたりは会社の年度末で死ぬ程忙しい筈で、敢えてそーゆー日を狙ってライブを打ってきた、その心構えをお聞かせ下さい(笑)
「(爆笑)。えーーっ!そういう日ですか!大澤会長にも「3月はヤメろ」って言われていたんですけど、会場が空いてなかったんですよぉ、、、。
11月にも札幌出身の尾形回帰さんがVo.をやっているHEREというバンドのライブに出ることになっているんでそちらにも是非どうぞ!なんですが、何と言ってもアシュラシンドローム初の札幌ワンマンライブですから。
北海道出身者のバンドとして今RSRに向けて全精力を傾けてやっているんですけど、自分たちはカッコイイ音楽を演っているつもりですけど、まぁ親父が乱入してきて笑ける部分もあるんですけど、ライブではいつも真剣勝負をしていますので、動画なんかも見ていただいて、是非ライブに足を運んでいただきたいと思っています。その皆さんのパワーを集めて背中を押してもらって、来年のRSRに初出演の夢を叶えたいと思っています!」
*『10獄放送局特別編〜 2018.8.19 Zepp Sapporo「アシュラシンドローム、来年こそはライジングに出てやる宣言式典」ダイジェスト』
インタビュー・文 大槻正志(ペニーレーン24)